牛見航(うしみわたる)山口県議会議員(防府市選挙区)オフィシャルブログ

牛見航(うしみわたる)山口県議会議員(防府市選挙区)オフィシャルブログ

『地方から日本を元気に』
山口県議会議員の牛見です。どうぞ宜しくお願いします。

私の暮らす山口県防府市では

この11月に「防府市議会議員選挙」が行われます。皆さんが暮らす町でも選挙は必ずあると思います。



さて、タイトルの通りですが皆さんは

「選挙活動」「政治活動」の違いってわかりますか??

新聞やニュースで両方聞くこともあると思いますがそもそもそんな違いあるの?

って思われてる方も多いと思うんです。


これ実は

《選挙に出る人》も《投票する人》もよくわかってなかったりするんですね…。

えっ今更聞けない!?

そうですよね、聞きづらいですよね。

だからそっとこのブログを見てくださいね。


【公職選挙法】という法律があります。

この定義で言うと

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公職選挙法では選挙運動と政治活動を以下のように論理的に区別しています。

  • (1)選挙運動
    特定の選挙で、特定の候補者(政党)の投票を得または得させるために、直接・間接を問わず選挙人にはたらきかける行為。
  • (2)政治活動
    政治活動のうち、選挙運動にわたる行為を除いた一切の活動。
  •  ------------------------------------------------
  • はいっわかりましたね!
ごめんなさい意地悪しました。

よくわかったようなわからないような。。。
難しいんですよ。

⚪︎選挙活動は
選挙に関わる活動、
「私に《投票》してね」
「牛見さんいい人だから《牛見さんに入れてね》」
みたいな直接的に選挙にいって特定の人や政党に投票を促す行動です。
ちなみに選挙活動を行っていいのは
「選挙期間中のみ」となります。
市議会議員選挙なら基本的に(7日間)だけとなります。

えー!!でも旗持って外立ってたりするじゃん!

あれは政治活動なんです。
「牛見航」なんて名前を出してないですよね?
名前を出して街頭で活動するのは事前運動とみなされ選挙活動に当たってしまいます。

あれ?でも名前出してる人いるよ!
そうですね、時々いらっしゃいますね。
共⚪︎党のかたなどよくお見かけします。
法律違反なのですぐに警察に通報しましょう!

もう一度整理します。

⚪︎政治活動は
《選挙活動以外の活動》です。
「後援会の入会をお願いします」はオッケーなんですね。後援会活動という政治活動になります。

ちょっと難しいですよね💦

こういったように今の政治には仕組み的にも非常にわかりづらいものがおおいんです。
そりゃあ誰だって普段から自分の名前の書いてある旗を立てて街頭に立った方が投票してもらいやすいってわかってます。
そんなふうに真面目にやってる人は今の状況ではなかなか投票まで結び付かず苦しい選挙戦を強いられることもあります。


ちょっと難しくなりすぎちゃったなぁ。。。

では本題です(今までなんだったのよー)

何が言いたいかと言いますと
政治活動とは選挙活動以外の活動ですから
純粋に街のことを思い地元や日本全体の為に活動していることはなかなか評価されにくい、知られにくいということです。

厳密にいうと政治活動ではありますが
「あの人はお祭りに来てくれた!」
「後援会用紙に記入したから」
などの理由で投票先を選ばれることが少なくないのも現状です。

地域や日本の為には特に活動もせず
とにかく《選挙に勝つことだけ》を最優先して年がら年中頑張っているそんな方も残念ながらひじょーーーーに多いのです。

そして、それに気付かずに投票してしまう人も多いのです。

選挙に出たことある
選挙に行ったことある
私からのお願いです。

選挙公報などのように全世帯に全候補者の政策や考えが配られます。それをきっかけにこの人がどんな活動をしてきたのか?
何をしたいのか?すこーーーーしだけ立ち止まって調べて考えてみて欲しいんです。


今の政治に不信感ありますよね?

「政治を変えるには政治家を変えるしかない」んです。

政治家を選ぶ我々も変わる必要があると私は思います。











📣県議会一般質問📣
3月6日 10:00〜県議会一般質問を行います。
議会傍聴も可能です!(興味のある方は個別にメッセージを)




お忙しい方は配信も行なっていますのでコチラから!
https://yamaguchi-pref.hotstreaming.info/live

ぜひご覧下さい!


1.山口県の教育について
(1)天皇陛下に関する学校教育について
(2)郷土愛を育む教育について
2.インバウンド対策について
(1)ネットワーク環境整備について
(2)県内事業者のアプリなどのプラットフォーム活用支援について
(3)山口県の「おもてなし」について
3.山口県の防災対策・有事対策について
(1)有事の際の初動体制の現状について
 (2)自衛隊との連携はどのように行うのか?
 (3)備蓄品について
 (4)緊急避難場所、避難所の想定について




令和五年も残りわずかとなってまいりました。

 

「激動」「激動」なんて毎年思っていましたが

 

本当に「激動」の時はそれすら感じさせないのかもしれません。

 

私の今の軸足は「林英臣政経塾」にあります。

 

私の天命は全国の埋もれている志ある方を

 

「見つけ」「共に成長」同じ志を持つ「同志」を増やし

 

「日本改新」を目指すものです。

 

 

○1月

その林英臣政経塾の全国合同講座にて決意表明を行うところからスタート

 

○2月

4月の統一地方選挙、山口県議会議員選挙への出馬表明記者会見

 

○3月

2期6年勤めた「防府市議会議員」を辞職退路をたちました。

週刊誌「FLASH」さんに地方議員の給料についての記事を掲載いただきました。

 


 

○4月

「山口県議会議員選挙」出馬、前回の市議会議員選挙同様に

「NO選挙カー」で挑み、お一人お一人に政策と思いを伝えていくことを心がけました。

時には街頭に12時間立ち続けることも。政党や団体からの支援がない唯一の候補であり大変厳しい選挙でありましたが皆様のご支援のもと勝ち上がることができました。

 

自身の選挙が終わりすぐに全国の同志の応援に

東京都小平市、徳島県徳島市、高知県高知市、大阪府吹田市へ

 

○5月

県議会初登庁、初心を忘れないために頭を丸めました。

少々周りを驚かせてしまいました💦

会派は自民党の予備会派「政友会」に美祢市選出の中本議員と。

 

○6月

多くの初めての総会に出席、コロナ禍の影響も数年ぶりに終わり昼夜問わず忙しさに終われました。

 

○7月

政治に興味を持っていただき、その中からいずれは政治家を輩出していきたい。

そんな想いを込めて

「歴史を学びながら地域から日本を元気にする」をテーマにした

『MATSURI塾』を開講しました。(これ以降毎月開催中)

 

今後より強い組織を作っていくために後援会の強化を。

後援会長にベルコグループ「岡村眞治郎」さんに就任いただきました。

県議会最初の県内視察も行われました。

 

○8月

相変わらずまだまだ慣れない、多くの行事への参加にスケジュール管理が大変ではありましたが

東京で暮らす娘が山口県に来ました。

なかなか普段できない体験を共にし多くの時間を共有できたことは大変嬉しいことです。

○9月

3年目となる「ゴミゼロ大作戦in富海」を開催

多くの協賛、後援をいただき毎年の行事へと進化してきたように思います。

県議会初の一般質問を

防府市議会でも強く取り組んできた

「山口県のDX推進について」

多くの山口県の可能性についてもお伝えできる機会もいただき良い質問を行えたと考えています。

そして自身初の

「牛見航君と語る会」を開催いただきました。

今まで行ってきた私の活動にプラスして強い組織を作るための取り組みです。

多くの方に参加いただき心から感謝です。

毎年9月に開催していこうと考えています。

○10月

毎月行われている「林英臣政経塾 政治家天命講座」を鳥取で開催

有志と共に初めての「大山」を登頂しました。

地元の「右田ヶ岳」以外の登山はほとんど経験がなかったため非常に素晴らしい体験をさせていただきました。

 

○11月

ずっと気になっていた親知らず2本を抜歯、人生の中でも指折りの痛さでしたが健康にもしっかり気をつけて行かなければならないことを改めて実感たしました。

 

○12月

2年間勤めた林英臣政経塾の中国講座長として節目となる日

2年前には何もなかったところに志ある素晴らしい仲間ができました。

今後中国地方において核となる政治家集団の礎が出来上がった。

私はそのように実感しています。

 

こう書き記しただけでも

冷や汗が出てくるようなことばかりですがこの数年自分自身が取り組んでいる

スケジュール管理のおかげでやり切ることができたと考えています。

 

 

当選後に掲げたスローガン

 

「謙虚 狂挙 計画 継続」

 

4つのKを意識して地元防府市の為、山口県、日本、世界の為に精進してまいります。

本年も大変お世話になりました。

来年もどうぞ皆様よろしくお願いします!



林英臣政経塾の門を叩いて約5年
塾士認定試験を受けた時に約束した
「中国講座」の開設(それに伴う四国講座の単独開設)
そして開設した後にその塾生に講座長を引き継ぐ!というもの。
多くの方のお支えのもとで私自身が多くの成長をさせていただきこれ以上ない強い組織をつくることができたと実感しています。
自身の選挙もあったこの一年でありましたが
最高の瞬間を迎えることができました。




誰にどんなことを言われてもこの10年で最高の瞬間を迎えることができたわけです。

日本改新を目指す林英臣政経塾において
それもただの通過点にしか過ぎないわけでありますが
それでも小さなことの積み重ねの上でしか
大事は起こせない、進めることができないわけです。

政治不信は今までに経験がないほどに膨れ上がってしまっています。
政治に信用を取り戻すのは
「一議員の小さな約束の積み重ね」だと思うのです。




どの党だからではない。
林英臣政経塾の出身者であれば安心して任せることができる。
そんな政治家を私は「見つけ」「育て」「共に成長する」
それこそが天命だと感じています。

ペースが遅い、スピード感がない。
そう思われる方も多いかもしれません。
それでも一歩一歩歩みを止めることなく確実に進めて行く。私にしかできない天分を理解し突き進んで参ります。

私は多くの同志と団結し日本改新を成し遂げます。








明日からは「林英臣政経塾」政治家天命講座の
塾生さんにとって非常に大きな節目となる講座が始まります。
私自身にとっても二年間勤めさせて頂いた
中国講座長としても大きな区切りを迎えるわけです、単独ではなかった講座を立ち上げることから始まり多くの方の助けを得ながら少しづつではありますが確実に強い組織となってきたように思います。

塾生さんには思い残すことなく
これまでの学びをしっかりと活かし思い切って爆発させていただきたいと思います。

この塾の門を叩いて五年が経とうとしています。
地方から日本改新を目指す!
その仲間づくりを行う!
少しづつですが目に見えるカタチになってきたと思います。









小学生の頃のことを振り返ると放課後のことはよく覚えている。

 

近所の先輩たちと帰りに川に飛び込んだり潜ったり

魚を捕まえたりして遊んでた。

 

初めて赤い鯉を網で捕まえた時や

おそらくオオサンショウウオを沼で見つけた時

神社の境内の下でアリジゴクを探した時

山の中や河川敷を探検したのことは今でもはっきり覚えている。

 

祖母が毎日同じ時間にお家でお経を唱えている姿を見てか、

神様や仏様のことは当たり前のように信じていたし、

山や川、花や木まで話しかけたり、祈ったりすることは振り返ってもてもよくあった。

恥ずかしさから友達の前ではやらず、誰もいない一人の時によく手を合わせていたように思う。

 

ある日学校から帰って一人でテレビを見ていた時に

ワイドショーか何かで「離婚」について触れていて

「離婚が増えています、子どもたちがかわいそうですね〜」

という何気ない会話を聞いて今まで意識していなかったけれど

自分はかわいそうなのか?なんて初めて気づいた。

 

参観日には周りがお母さんの中うちはおばあちゃんで

正直「恥ずかしい」なんて感情を持ったこともあるけれど

振り返ってみたら寂しさを感じさせないくらい、祖母には助けてもらった。

 

祖母は免許を持っておらず、車に乗れなかった。

うちの家はスーパーまでは結構な距離がある。

父は3交代で働いていたので買い物はバスだった。

祖母と買い物に行く一種の「不便さ」「大変さ」を感じること。

学校においても部活にしても送り迎えが自分には基本的にはないことなどから

いわゆる交通弱者に対しての想いが強くなった根源であると思う。

 

 

 

 

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『留魂録』(りゅうこんろく)とは、幕末長州藩の思想家である吉田松陰先生が、門弟のために著した遺書のこと。この遺書は松下村塾門下生のあいだでまわし読みされ、志士達の行動力の源泉となったものです。

 

 

◯牛見航(うしみわたる)

1982年1月30日生まれ(戌年のAB型)

山口県防府市出身

東京にてベンチャー企業に就職後、30歳を目前に帰省、政治家を志す。

 

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本日山口県議会議員連盟の総会が行われ

以下の役職に就任致しましたのでご報告いたします。


⚪︎ハワイ友好促進山口県議会議員連盟 理事

⚪︎日台友対促進山口県議会議員連盟 理事

⚪︎ASEAN地域友好・経済交流促進山口県議会議員連盟 理事

⚪︎日中友好促進山口県議会議員連盟 理事

⚪︎山口県議会21世紀のエネルギー開発推進議員連盟 副会長

⚪︎下閱北九州道路整備促進山口県議会議員連盟 幹事

⚪︎更生保護と再犯防止を考える山口県議会議員連盟 幹事


議会連盟としての役割を改めて認識し、意見交換を行いながら、皆様と協力しより良い社会づくりに貢献してまいります。




本日山口県議会6月定例会がスタートしました。


令和5年度補正予算について村岡知事より説明がございました。


⚫︎物価高騰対策など

補正総額は、1441,500万円、補正後の予算規模は、8,0845,100万円

主な内容としては

・物価高騰対策

生活者や事業者の負担軽減を図るため、LPガス料金の高騰分を支援することとし、139,400万円を計上。特別高圧を受電する中小企業者等に対し、電気料金の高騰分を支援するとともに、中小企業者等が事業所内に設置する番電池の導入経費を補助することとし、241,900万円が計上しています。



さらに、賃金引上げとあわせて、従業員の仕事へのやりがいや会社への貢献意欲を高める職場環境づくりに取り組む中小企業者等を支援することとし、12,100万円が計上。


また、農業者、畜産業者及び酪農家の経営安定を図るため、肥料などの価格高騰分の一部を補助することとし、総額で109,100万円を計上。


このほか、自治会等が設置する防犯カメラの整備費用を支援することとし、所要の経費が経費が計上。これにより、物価高騰対策関連経費の総額は、503,500万円となっています。


⚫︎その他の経費として

中小企業制度融資において、コロナ対策の一環として措置している返済負担軽減借換等特別資金について、中小企業者の借換え需要等に対応するため、新規融資枠を400億円に拡大するとともに、これに伴う損失補償について、債務負担行為の変更を行っています。

また、教育環境のデジタル化に向けた市町の取組に対する支援や自動車税環境性能割等の追加徴収に伴う市町交付金について、それぞれ所要の経費が計上。


これより議案調査に入ります。

本日4月28日は「主権回復の日」であります。

 

これは2013年第二次安倍内閣が定めたものであります。

 

1945年8月15日に終戦を迎えた

「大東亜戦争」

 

その後日本は

GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領下に入り、

 

◉『GHQが行った民主化改革』

・憲法の改正(押し付けられた憲法)

・天皇陛下を国家元首から「象徴」へ

・軍隊の武装解除 / 特高警察廃止 / 治安維持法廃止

・財閥の解体

・軍需産業の解体と中間賠償 / 損害資産の没収

・農地改革(食糧不足、輸入に依存へ)

・労働組合の育成(資本家の弱体化、輸出競争力のダウン)

・民主的な戦後教育(自虐思想、自虐教育)

・言論統制(GHQ批判などは厳禁)

 

そして日本を弱体化させる大きな要因の一つ

 

◉『教育にかんする4つの指令』

①教育制度の管理

→文部省はGHQno指示に従って政策を実施し、報告する

②教員への調査と除外

→軍国しゅぎてきな思想を持つ教員と官僚を教育現場から追放

③神道指令

→神道行事と神道の意義、皇室の歴史や素晴らしさを教えることの禁止

④修身・歴史・地理の停止

→道徳・日本史・地理の授業はGHQが許可するまで禁止

 

などを行ってきました。

 

日本人として暮らす中で出てくる疑問の多くは

このGHQの占領下に置かれていた際に起因するものが多いことに改めて気付かされます。

 

そういった意味でも日本は本質的には未だに占領下にあると見る

政治家や学者も多くいらっしゃいます。

 

 

そんな日本が真の独立を示すその第一歩は

「憲法改正」です。

押し付けられた憲法ではなく、

日本人自らの力で日本と日本人の為の憲法をつくりなおさないといけません。

 

時代がこれだけ変化していく中で

世界各国と比べても日本の憲法改正数「0」という事実が異常であることは理解いただけることと思います。

 

 

自由民主党の結党の精神の一つには

「自主憲法の制定が謳われていますが

その目的を達成する為の発議に議員総数の2/3以上の賛成が必要であるという

大変難しい条件に設定されてしまっているということも大きな問題の一つであり、

今日に至るまで達成できていない要因なのであります。

 

日本の真の独立に向けて

「独立記念日」を迎える為

正しい歴史認識を多くの方と共有し、その機運を高めて参ります。

私が生まれ育った場所は自然が豊かで地域の2/3は森林であろう

防府市の中でも山間部にある、

地域としては「小野」旧小野村から学校などの名称のみが残っており地名などは実際にはない。

 

小野保育園→小野小学校→小野中学校

 

とエスカレート式に上がっていく田舎の地域である。

 

当時は一つの学年に男女合わせて約60名、小学校で360名
中学校で180名ほどの規模の学校である。

 

学校までは徒歩で5キロ以上かかる地区、

私の地域では小学3年生までは

近くまでバスが迎えに来てくれるので定時にそこに行って

バスに乗っていくという流れなのだが、一緒の登校班のお兄ちゃんがよく寝坊するのでそのバスに間に合わずに学校まで小学一年生ながら5キロ以上の道のりをよく歩いていた。

 

ちなみに祖母に聞くと幼少期はそんなことはなかったらしいのだが
小学校に上がってからは食べ物の好き嫌いが顕著に現れ、「野菜」という「野菜」はほぼ食べられなくなってしまった。

 

よって給食の時間なんてもう地獄である。

当時の学校ではまだ

「好き嫌いなんていけません、食べるまで立ち上がってはいけません」

という風潮が色濃く残っていたので

6年間を振り返っても
お昼休みに遊んだ記憶がほとんどない。

 

担任の先生の机の前に自分の机を置いて睨めっこするように給食を食べていたのを思いだす。

私も子供ながらに気合が入っていて、それでも絶対に食べることはなかった。

まさに先生との意地の張り合いである。

結局どこかのタイミングで先生が折れるわけだが

「もういいわよ」という先生の言葉をいつも待っていた。

そのあとは残してしまった給食を給食のおばさんのところに持って行って

 

「給食を残してしまってすみませんでした!ごちそうさまでした!」

 

と言うのが日課になっていた。

隣のクラスの「しょうくん」もその常連でいつも一緒に謝っていたので仲が良かった。

 

話は戻るが

その偏食のせいで小学3年生までは帰りもバスに乗れるのだが

授業が午前中しかないような日はその先生との意地の張り合いでバスの時間まで許してもらえず帰りのバスに乗ることも少なかった。

先生も私の偏食をどうにか無くそうと必死だったのだろうなと思う。

 

ということで毎日のように長い距離を歩くので足腰は強くなっていった。

 

ちなみにそのバスに乗る同級生は10人を超えるのだが、男子は私一人、子供ながらにその環境になかなか馴染めず思いかえすと少し辛い経験もした。

 

後でわかることだが「発達障害」ADHDによる影響もあった。

前日にしっかり準備していたはずなのにランドセルの中に教科書が入っていないなんてザラで、学校からのプリントなんてほとんど無事な状態で家族に渡せたこともなくて、宿題もまともに学校に持って行けてなかった。

本人的に思い出してもすごく真面目に取り組んでるつもりなのにできなくて

先生やおばあちゃんに注意されるのが辛かった。

宿題を忘れて、先生に家まで往復で10キロ歩いて取りに返されたこともあったが

今だったら問題になっていただろうな。

 

もう一点、思い出せるのは3年生くらいの時

ものすごい強迫観念に襲われて数分ごとに手を洗ったり、漢字の宿題を何時間もかけて綺麗に書き直すようなことがあった、おばあちゃんがどうしたの?それくらいいいじゃないって心配してくれたのを覚えてる。

僕も「そう思うけどちゃんとやらないといけないんだよ。」って泣いてたのを思い出した。

 

子供ながらに精神的に辛かった時期だったのかもしれない。


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『留魂録』(りゅうこんろく)とは、幕末長州藩の思想家である吉田松陰先生が、門弟のために著した遺書のこと。この遺書は松下村塾門下生のあいだでまわし読みされ、志士達の行動力の源泉となったものです。

 

 

◯牛見航(うしみわたる)

1982年1月30日生まれ(戌年のAB型)

山口県防府市出身

東京にてベンチャー企業に就職後、30歳を目前に帰省、政治家を志す。

 

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