『玉琢(みが)かざれば器を成さず、人学ばざれば道を知らず』

―玉不琢不成器、人不学不知道―

 

 

 

<礼記>

「礼記」は、この言葉を揚げたあとで、「この故に、古の王者は、国を建て民に君たるには教学を先となせり」と続けている。

 

教学を最優先の課題とした、というのだ。なにを教えたかといえば、多分、こまごました知識の類ではなく、社会人として立っていくための基本的な教養や心構えといったものであったに違いない。「道を知らず」の「道」とは、そういう内容であろう。

 

今の日本には、こういった面の教育が欠けているように思われる。それでも男の場合はまだよい。家庭がダメ、学校がダメでも、社会に出てからいやおうなしに鍛えられていく。企業の社員教育なども、そういう面ではかなり重要な役割を果たしつつある。

 

問題は女性の場合だ。古いモラルがくずれたのはいいが、それに代わる新しいモラルが生まれていない。その結果、甘えばかりが目立つ 「型なし人間」がふえている。これは、相当に重症だ。

 

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『衆曲は直を容れず、衆枉は正を容れず』

―衆曲不容直、衆枉不容正―


 

<淮南子>

「衆曲」とは、全体が曲がっていること。「衆枉」とは、全体が間違っていること。では組織を例にとろう。組織全体が曲がっていたり間違った方向に進んでいる状況の下では、一人や二人がまっすぐであろうとしたり正しいことを主張したりしても、かえって弾き飛ばされる。

 

悪が悪としてまかり通ってしまうということだ。そういうなかで生きる道としては、つぎの三つの選択が考えられる。

 

 あくまでも 「直」に生き 「正」を主張して、組織の歪を正す。ただし

   これは玉砕を覚悟しなければらない。

 

 大きな流れに逆らわないで、それなりに体勢に順応して生きる。

 

 そんな組織に見切りをつけて、他に生きる道を求める。

 

どれがいいとも言えない。それぞれの人柄や立場に応じて選択も異なってくるだろう。

 

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